【一口馬主のスタンダードⅢ】

じょう君 八戸市場への道③

Pocket

八戸市場開催日まで2か月切りました!

 

とにかく

じょう君のことを知ってもらいたい!

その一心で しばらくは
ブログを書いていきます。

 

その前に

まずは

私みたいな 一般市民が
どうしてバリアシオンと種付けさせるための
繁殖牝馬を持つことになったのかを説明しておきます。

 



 

最初に言っておきます。

 

私は ごくごく 普通のサラリーマンです。

 

というか

間違いなく

今の歳(今週末で43歳)の日本全国の平均年収額よりも

稼ぎは少ないです。

 

正直、毎月、シルヴィ母さんとじょう君の預託料などを
払ってますが・・・

 

まさしく 自転車操業です(^^;

 

独身、実家暮らしだからなんとかなってるようなもので

とにかく早く

10万円が欲しくてたまりません!

そんなレベルの人間であることを理解しておいてください。

 

 

数年前

ウインで追加募集されたのが

母:スーパーバレリーナ 父:ハーツクライ

でした。

一目ぼれしてすぐに出資したくらいでしたんで

なんとかして名付け親になろうと頑張って

 

運よく ウインバリアシオン という馬の名付け親になれました。

 

これがすべての始まりです。

 

 

名付け親になったことがある人は分かると思いますが

僕は

バリアシオンのことを 子供のように思ってました。

 

名付け親になると その馬との距離が
他の出資者さんよりも近くなるんです。

思い入れってやつですね。

 

そんな私の(笑)バリアシオンの活躍ぶりは
この前紹介したとおり。

 

当時の自分と言えば

長年、吃音で悩んでいたこともあって

人との関わり合いを避けて避けて生きていました。

 

仕事以外ではほとんど家から出なかった生活。

 

そんな自分も

バリアシオンの晴れ姿を見るために

京都も阪神も中山にも行きました。

 

 

バリアシオンの名付け親というだけで

自分のブログにたくさんの方が来てくれるようになった。

 

 

有馬記念の前には

何かしないといけない という使命感に襲われ

バリアシオンのオリジナルタオルも作りました。

 

 

これを競馬場で ブログでお知り合いになった方に

直接渡しました。

 

 

あの家から出れなかった

人との関わりを避けていた自分を

バリアシオンが変えてくれたんです。

 

 

だから私は

バリアシオンのことを 恩人と呼んでます^^

 




そんな恩人が最後のレースで故障をして

引退が決まりました。

 

乗馬になるか種牡馬になれるか。

 

揉めていたあの時期、私は必死に種牡馬になってほしいと

某掲示板に書き込んでいました。

 

 

胸を張って種牡馬になれる実績も強さもあったし

何よりも

名付けた馬が 種牡馬になる。

 

これは夢の夢のような話で

日本全国の一口馬主でも

ホンの数人しかいないくらいの偉大なこと。

 

だって

競馬の歴史に名前が残るんですよ。

 

血統表にこれからずっと

ウインバリアシオンという名前が残っていく。

 

だから心から種牡馬になれることを祈ってました。

 

 

そこで 運命的に種牡馬入りしたのが青森。

 

もし、青森ではなく北海道だったら

繁殖牝馬を持つこともなかった。

 

もっといえば

バリアシオンの行き先、お世話をしてくれたのが、

スプリングファームの佐々木代表だったからこそ

今の状況が生まれたわけです。

 

 

ここからまた

いろんな繋がりが出来ていくんですが

 

話が長くなるので続きはまた。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です